門外不出を永く守った宮中由来の味。
すぐきの栽培や漬物は、上賀茂の社家から始まったというのが定説となっている。その理由は、すぐきの原料、すぐき菜が土を選ぶカブラの一種で、栽培地域が松ヶ崎より西、北山通りより北部という上賀茂の狭い地域に限られていたということ。
そして、なによりの理由は、桃山時代の頃に上賀茂神社に奉仕する社家が種子を手に入れ、珍しい高級品として上層階級の贈答用に栽培したのが始まりで、それゆえに永く製法は秘伝として門外不出だった。
約三百年前の飢饉で難民救済のために製法を公開し、ようやく伸展していった。社家の庭で栽培したことから「屋敷菜」、京都御所に仕えた社家の某が宮中から種子を賜ったから「御所菜」という別名を持つ。江戸時代、元禄の頃に出版された『本朝食鑑』には『年を経て酸味を生ずるので酸茎と称す』と記されている。京都では明治の終わり頃、大阪・東京では大正時代から売られたらしい。すぐきの「天秤漬け」(天秤を使って漬ける)は、昭和初期からの偉大な知恵である。